ビジネスセクレタリーグループのリーダーとして、事務局チームだけでなく、社内全体をきめ細かくフォローしてくれる廣瀬美賛さん。物腰やわらかななかにも、1本も2本も筋の通ったお話を聞かせてくださいました。

――入社のきっかけを教えてください。
以前に、エレクトロニクス関連の展示会を運営する会社に勤務していました。そこで同僚だったのが、現在、営業チームにいる水島さんです。退職して4年ほど経ったころ、水島さんから連絡をもらって。彼女はもうクラフトワンにいて、前にやっていたようなお仕事なんだけどやってみない?とお誘いがありました。たまたま転職を考えていた時期だったので、何かのご縁かなと思い入社しました。転職前の会社では、広く浅くという業務内容だったので、誰がやっても同じでは?と疑問に思っていました。ここでの仕事のほうが、私がやることの意味があるかなと感じています。

――実際に入社してみて、いかがでしたか?
小さな会社なので、一人一人の責任も重いですし、業務範疇も広く、何事も自分次第という面があります。同じ案件を何回か担当すると、回を重ねるごとに自分なりの改善方法を見つけることができ、成長を感じられますね。
今後は、会社として新規開拓をしていくなかで、業務自体を体系化していく立場としてがんばりたいと思います。

――海外留学されていたとお聞きしました。
イギリスに7ヶ月間、語学留学しました。展示会の仕事をしていたころ、英語を使うことが多かったのですが、うまくいかなくて。もっと英語の勉強がしたいというのと、イギリスに住みたいという思いがあり、ちょうど30歳になるし、行ってしまおう!と。留学先は南部のボーンマスという海岸沿いの街です。週末になるとここぞとばかりにイギリス中を旅行して、ホストファミリーに『ミサは旅行をしにきたの?』なんて言われて。本当にゆったりとした時間を過ごせました。今思えば、もっと長く行っておけばよかったと思います。
長く日本を離れてしまうと、もう戻れないんじゃないかみたいな不安が当時はあって。でも実際は、1年いなかろうと2年いなかろうと、たいして変わりません。長い人生のほんの一瞬なので。


――留学してみて感じたことは?
日本ってあらためてすごいなと感じました。蛇口をひねればきれいな水が出てくるし、熱いお湯も出てくる。特に水道関係がすごい。トイレがつまるなんてこと、そうそうないでしょ?自分の国のことを知らなすぎるということも、わかりました。
自分の国の偉人の話をする授業があって、インターネットで必死に野口英世のことを調べました。ほかのみんなは自分の国の歴史のこともよく知っていて。もっと日本のことを知らなきゃと思いました。

――その後、帰国されてからは?
英語を活かした仕事がしたいと思い、メーカーに勤務しました。そのときの上司が、自分にも他人にもとても厳しい女性で、私、イギリス帰りでフワフワしてるのにどうしようって。でも厳しいからこそ、その方にはいろいろなことを教わりました。よく言われたことが、タイミングを逃しちゃだめって。何をやるにもタイミングが重要で、それを逃さないように風を察知しなさいと言われましたね。
人に何かしてもらうと、必ず『ありがとう』とおっしゃる方で。海外ビジターの日本滞在アレンジをすべて任されたことがあったのですが、『廣瀬さんにお願いできてよかった』と言ってもらえたんです。すごくうれしかったですね。その方から学んだことをこれから自分のやることに活かして、恩返しをしていきたいと思います。

――子どものころの夢は?
幼稚園のころはパン屋さん、小学生のころは美容師さん、中学生のころはOLになりたいと言っていましたね。高校のときは英語が大好きだったので、翻訳家になりたくて。
大学のころはちょうどバブルがはじけた時期で、就職できればいいかなと。このなかで叶った夢は、パン屋さんとOLですね。

――パン屋さんだったんですか?
パン屋さんのアルバイトもしていましたが、パン教室の先生でした。会社の同僚に誘われて行ったパンの体験教室がきっかけです。インストラクターの方の生き生きと働く姿が印象的で。私もここで先生になろうって決めたんです。3年間、インストラクターをしました。初めのころはパン教室だけだったんですが、時間を持て余してしまうし、アルバイトなのでとにかくお金がない。それでもいいかなと思っていたのですが、ある時ふと、買いたいものも買えないことに気がついて。

それで並行して事務の派遣も始めて、だんだんとそちらのほうが忙しくなってしまい、パン教室は辞めました。

――好きだった仕事をあきらめられたんですか?
その派遣というのが、展示会のお仕事だったんですが、一年目にできないことがたくさんありすぎて、すごく悔しい思いをしたんです。

それで、次は絶対にうまくやってやろうと思って、専念することにしました。そこでの業務はとても過酷で、毎日帰宅が深夜を過ぎるのは当たり前。一番忙しいときは朝の4時、5時なんてこともありました。そんななかでもがんばって、2年目にはそれなりに自分の満足いく結果を得ることができました。そこでの経験があったから、イギリスに行くこともできたと思います。もちろん留学資金の面からもそうですし、気分的に変わって、踏ん切りがつきました。

――人生のターニングポイントは?
一番考え方が変わったのは、大学のころ。専攻がアメリカ現代文学で、その当時のゼミの先生から、文学を通して人生における考え方を学びました。文章というのはただの象徴に過ぎなくて、実際に伝えたいことはその行間にあるんです。行間から暗示されているものを読みとることが大事で、それは人生においても同じだと。例えば、ヘミングウェイの『キリマンジェロの雪』という作品があります。
頂上まで上りつめた人が、その後どうなるか。落ちていくしかなくて、でもそこにとどまるという選択も一つの生き方なわけです。とどまるというのは死んでしまうということね。死ぬことがいいと言っているのではなく、自分の誇りとするものを守りなさいとヘミングウェイは言っている。そういう見方を教わって、物事の表面だけでなく、その裏にあるものまで見ることができたら、人生がもっと豊かになるんだと、そこから人生の見方が変わりました。

――これから先、やりたいことは?
穏やかに暮らしたいですね。会社で働いているとあれやらなきゃこれやらなきゃと常に何かに追われていますが、もっとゆったりとした流れのなかで生活したいなと、思っています。
将来的にはおうちでパン教室とか。そういうので生計が立てられればいいな。現実はなかなか厳しいですけどね。
趣味はトレッキングにダイビングと、アクティブな一面も持ち合わせている廣瀬さん。これからも我が道を大胆に、そしてしなやかに歩んでいくのだと、強く感じさせるインタビューとなりました。